第3章 ETFの歴史 誕生秘話から学ぶETFの仕組み

ETFがロー・コストを実現出来ている理由

ETFがロー・コストを実現出来ている理由は、ひとことで言えば、
そもそもETFの会社にはファンドマネージャーが居ないからです。
それは別の言葉で言えば「外部化」しているという風にも言い直せます。

ETFがロー・コストなのは、そもそもファンドマネージャーがいないからだ

そのあたりを理解するためには、そもそもETFがどのように考案されたのか?
という歴史を振り返るのが、実はいちばんわかりやすいです。
そこで今回はETFの歴史を紹介します。

ETFの仕組みを理解しようと思えば、その歴史を学ぶのが最短距離の学習法である

アメリカン証券取引所

昔、アメリカにはニューヨーク証券取引所の他にアメリカン証券取引所という取引所がありました。

アメリカン証券取引所のルーツは1830年頃からニューヨークで自然発生的に出来た青空市場で、
舗道で取引が行われたことから、「カーブストーン(縁石)市場」というあだ名がつきました。

そのような青空市場では、投機的な小型株が主に取引されました。具体的には運河株、有料道路株、鉄道株などです。
そこでは雨の日だろうが雪の日だろうが、うだるような暑さの日だろうが、仲買人が相場を立てていたのです。

彼らは、「来る人は拒まず」という、きわめてオープンな態度であり、また「頼れるのは自分だけだ」という強い独立心を持ったトレーダーでした。
そして雑草のような生命力を持っていたのです。

1849年にカリフォルニアで金が発見されると、金鉱株も活発に取引されるようになりました。
さらに1859年にペンシルバニア州で石油が出ると、今度は石油株も取引きされるようになったのです。

当初は全くバラバラに運営されていたそれらの自発的な青空市場は、南北戦争の後、共通ルールを確立する方向へ動き出しました。
また1908年にグリニッジ・ストリートにやっと自分たちの建物を持つことになり、
1953年にそれまでのニューヨーク・カーブ取引所という名称からアメリカン証券取引所(AMEX)という名前に名称変更されたのです。

そのアメリカン証券取引所にライバルが登場します。1972年に全米証券ディーラー協会がナスダックという電子市場での取引を開始したのがそれです

ナスダックは、ハイテクやバイオなどの新しい成長企業をどんどん誘致し、アメリカン証券取引所はナスダックに、お株を奪われてしまいました。

そこでアメリカン証券取引所はクローズド・エンド・ファンドやデリバティブなどに活路を見出す試みを始めます。
いまではその歴史を覚えている人は少ないですが、実はアメリカで最初のETFであるSPDR S&P500 TRUST ETF(ティッカーシンボル:SPY)を上場したのは、
アメリカン取引所であり、しかもETFの仕掛人たちは運用会社ではなく、アメリカン取引所の新製品開発チームだったのです。

ETFを開発したのはアメリカン取引所の新製品開発チームだった

その後、アメリカン証券取引所はNYSEグループに吸収されています。

87年の大暴落の教訓

1987年10月19日(月)に、ダウ工業株価平均指数が一日で-508ポイント(-22%)暴落する事件が起こりました。いわゆる、ブラックマンデーです。

米国証券取引委員会(SEC)は大暴落の原因究明のために調査を開始し、翌年、膨大な調査報告書を公表します。

その中でSECは、ポートフォリオ・インシュアランスと呼ばれる、当時の機関投資家が好んで使っていた手法に焦点を当てます。ポートフォリオ・インシュアランスは、「市場が崩れそうになったとき、自分がポートフォリオに持っている現物株と同じ金額分の先物を、シカゴの先物市場で即座に売却すれば、もし市場が崩れて価格が下がっても、先物を売った分が利益になるので、損した分を相殺できる」という考えです。

それ自体には問題は無いのですが、先物市場と現物市場は裁定が働くため連動性があり、先物の価格にサヤ寄せするように現物の価格が上下するという特性があります。つまり、皆が同時に同じ行動を取れば、先物市場での怒涛の売りが現物市場の売りを呼ぶという悪循環を引き起こしてしまいます。

しかもNYSEとシカゴは別々の監督当局の管理下にあり、仮にこういった状況が先物市場で起こっていたとしても連携してサーキット・ブレーカーを発動させるなどの協調行動がとりにくい体制になっていました。

NYSEで売り一色となると、それに買い向かうのはスペシャリストと呼ばれる立会場のブローカーだけになります。これらの企業の多くは個人経営に毛が生えた程度の、資金力に限界のある組織だったので、ブラックマンデーのようなことが起きると、買い支えるだけの資金力が無いため、破綻の危機に晒されることになったわけです。

SECはそこで次のような政策提言を行います:

我々は、何か別のアプローチを模索することを提言する。現在、プログラム・トレーディングは一斉に個々の銘柄の注文をトレーディング・フロアにばらまく方法で執行されている。これだと個々の銘柄の売買コストは馬鹿にならない。

そこでNYSEの取引ポストのひとつで、市場バスケットそのものを売り買いできるようにすれば、プログラム・トレーディングに市場が圧し潰されるのを回避できるかもしれない。
(「1987年10月の暴落に関する報告書」米国証券取引委員会)

米国証券取引委員会が報告書の中でこのような新しい商品を提唱したということは、誰かがそれを作れば、比較的迅速にそれが承認されることを意味します。

アメリカン証券取引所の新製品開発チームは、そこに着目してETFの開発に乗り出したのです。

ETF開発にあたって、87年のブラックマンデーに関する報告書がヒントを与えた

アメリカン証券取引所のETF開発チーム

当時アメリカン証券取引所でETF開発に取り組んだのはネイサン・モストとスティーブン・ブルームの二人です。

ネイサン・モストはUCLAで物理学を専攻した後、パシフィック商品取引所の社長を経て、アメリカン証券取引所に来ました。

スティーブン・ブルームはハーバード大学で経済学の博士号を取得した後、アメリカン証券取引所に就職しました。

二人の目的は落ち目になっているアメリカン取引所の出来高を増やし、ナスダックを見返すことにあるわけですから、新製品は「誰もが必要としていたけれど、これまでになかった」商品でなければいけません。上で述べた87年の大暴落に関するSECの報告書を読んで、彼らは「これだ!」とピンと来たというわけです。

さて、当時株価指数をなぞる商品を発表して最も成功していたのは、ジョン・ボグル率いるバンガード・グループでした。

バンガード・グループはインデックス運用こそが最も優れた運用であるという信念のもとに作られた運用会社です。

そこでネイサン・モストはジョン・ボグルのオフィスを訪ね、一緒に商品開発をしないか? と持ちかけます。

しかしジョン・ボグルはその場でこのアイデアを却下します。

その理由は、ジョン・ボグルはBUY & HOLD、すなわち一度買ったら、じっとそのポジションを持ち続ける投資ストラテジーの信奉者であり、アメリカン証券取引所が提案するような、トレーディング主体の商品は自分の信条に反するからです。

バンガードのジョン・ボグルはアメリカン証券取引所の持ち込んだETFの話を蹴った

ネイサン・モストはジョン・ボグルとの面談したとき、ボグルが本当にトレーディング嫌いなのを見て、強く印象付けられました。ボグルの忠告を心に刻み(ファンド自身がポートフォリオの調整のために頻繁に売り買いをする必要が無いスキームが出来ないだろうか?)ということを模索しはじめます。

そこでモストはパシフィック商品取引所時代に倉荷証券(warehouse receipt)という、一種の預かり証をトレードしていたことを思い出します。

穀物、綿花などのコモディティは、トレーダー達がそれを売買した後で、実際に取引相手まで現物を届けると、トラック運転手に支払う運送料などが嵩みます。そこで商品取引では、倉荷証券とよばれる一種の預かり札だけを交換し合って、いちいちトレードの度に穀物を移送する手間を省いてしまったのです。

モストはこの倉荷証券にヒントを得て、イン・カインド(in-kind=現物持ち込み)設定という仕組みを考案します。

商品取引の倉荷証券にヒントを得て、イン・カインド設定というロー・コストな方法が編み出された

すなわち市場バスケットを構成する全銘柄が、耳を揃えて持ち込まれたことを確認して、倉荷証券に相当するETFを発行するということです。

ETF自体は、持ち込まれた現物と引き換えにETFを渡すだけですから、トレーディング・コストも発生しませんし、物々交換なのでキャピタルゲインも発生しません。

ETFは「引換券」を渡すだけだから、トレーディング・コストが出ない。また物々交換なのでキャピタルゲインも発生しない

つまりイン・カインド設定という手法を編み出した事が、ETFの費用比率を劇的に下げることにつながったのです。

イン・カインド設定という手法が、ETFの費用比率を劇的に下げた

ステート・ストリート

ステート・ストリートはボストンの金融街です。ちょうどロンドンにロンバード街があり、ニューヨークにウォール街があり、サンフランシスコにモンゴメリー街があるように、ステート・ストリートと言えば、それはボストンのフィナンシャル・センターを意味します。

ここは1630年代に英国からアメリカに渡ってきた清教徒が最初に集落を形成した場所です。その意味で、ボストンでも最も由緒ある界隈のひとつです

このステート街で1792年に創業したのがステート・ストリートです。同社はバンク・オブ・ニューヨークに次ぎ、アメリカで二番目に古い金融機関です。

同社はカストディー業務など、「銀行の銀行」としてホールセール業務を中心に発展してきましたが、その運用部門は早くからパッシブ運用に特化してきました。

バンガードからETFのアイデアを却下されたネイサン・モストは、ステート・ストリートにそれを持ち込んだのです。

こうして出来た最初のETFは、1940年投資会社法のユニット・インベストメント・トラスト(UIT)という形態を採用しました。UITの利点は、ファンドに取締役会を設置する必要が無い事とファンドマネージャーを置かなくても良いことにあります。

なお、最近出てくるETFはUITという組織形態を採らないETFもあります。これはデリバティブの使用や貸株市場の利用など、ファンド運用上でのちょっとした改善を可能にするためです。

ETFにはファンドマネージャーに相当する仕事をする人はいない

設定・償還

さて、実際にETFが設定される手順を説明しましょう。

ETFには、それが何をなぞるように設計されているか、かならず下地になるインデックス(株価指数など)があります。

ETFは、通常、そのインデックスを正確になぞるように設計されているのですが、時折、取引所でトレードされているETF価格が、インデックスそのものの価格と乖離(かいり)することがあります。

これは往々にして熱くなりすぎたトレーダーが、インデックスの水準を確認せずに、どんどんETFばかりを買い進むことによって引き起こされます。

乖離は、熱くなりすぎたトレーダーが、インデックスの水準をちゃんと確認せず、どんどんETFばかりを買い進むことで引き起こされる

いまS&P500のETFがS&P500指数そのものに比べて割高に取引されていれば、1)ETFをショートすると同時に、2)現物のバスケットを急いで市場でかき集めるという二つのアクションを同時に実行することで、瞬時にサヤ取り(=アービトラージ)を行うことが出来ます。

市場から買い集めた現物株のバスケットを、ETF会社の指定する信託銀行に持ち込めば、ETF会社はそれを受け取るのと引き換えにETFを発行します。これが設定(クリエイション)と呼ばれる動作です。

逆にETFが市場でインデックスより大幅にディスカウントで取引されていたとします。その場合は1)現物のバスケットを急いでショートすると同時に、2)ETFを買うという二つのアクションを同時に実行することで、瞬時にサヤ取りを行う事が出来るのです。

市場で買ったETFを、ETF会社の指定する信託銀行に持ち込み、「これを現物株のバスケットに交換してください」とリクエストすれば、ETFと交換に個別株を貰うことができます。その個別株で先ほどの空売りの受け渡しを付ければ良いのです。これが償還(リデンプション)と呼ばれる動作です。

このようなサヤ取りを行うのは、普通、投資銀行やヘッジファンドなどのプロであり、かれらのことを指定参加者(AP)と呼びます。

ここで特筆すべきことは、現物株を買い集めるなどの実際の作業をやっているのは、ETFではなく、外部の業者だという点です。

言い換えればETFはポートフォリオ維持の作業を「外部化」しているわけです。これがロー・コストの秘密です。