サウジアラビアの王位継承問題とサウジ・アラムコの新規株式公開(IPO)

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異例の皇太子更迭

昨日、サウジアラビアで王位継承順位第2位のムハンマド・ビン・ナエフ皇太子が更迭されました。

その代り、王位継承順位第3位のムハンマド・ビン・サルマン副皇太子が皇太子に繰り上がります。

もし、現在の同国の国王であるサルマン・ビン・アブドルアジズ(81歳)が死去した場合、国王の末の息子であるムハンマド・ビン・サルマンが次の国王になるのです。

 

ビジョン2030

ムハンマド・ビン・サルマン皇太子はちょうど1年ほど前に「ビジョン2030」と題された経済改革案を打ち出したことで知られています。

「ビジョン2030」は、人的資源の活用、環境保全ならびにサステイナブルな社会の構築、家族を社会の礎とした強固な社会の建設、社会保障制度改革、経済の多様化、起業家精神の育成、女性の活用、そしてそれらの大改革を実施するための原資としてサウジ・アラムコの株式を公開することを提唱しています。

 

今回の人事がサウジ・アラムコIPOに与える影響

今回の人事は2018年に控えているサウジ・アラムコの新規株式公開(IPO)にプラスだと思います。
なぜなら、サウジ・アラムコのIPOはあくまでもムハンマド・ビン・サルマンのアイデアであり、ナエフ皇太子が国王に繰り上がった場合、このプロジェクトに難色を示す可能性が残されていたからです。

今回、ナエフ皇太子は王位継承レースから外れたので、そのリスクは除去されました。

 サウジアラビアはサウド家による一族支配であり、政治機構より血縁ならびに親族間での序列が重んじられます。したがって今回のような更迭は、稀なケースです。

 

サウジアラビアの歴史

サウジアラビアは1931年にイブン・サウドにより建国されました。
それ以前のサウジアラビアは諸侯が割拠していました。彼らは部族単位で行動し、血縁を重視し、「強い者がリーダーになる」という力の論理に支配されていました。

第一次大戦に相前後してオスマン帝国(現在のトルコ)のアラビア半島における支配力に揺るぎが生じたとき、イブン・サウドはそれに乗じて勢力を伸ばしてゆきます。
彼は、戦の指揮が上手いだけでなく、政治的な駆け引きにも長けており、このような部族間抗争で頭角を現し、聖地メッカの守護者としてアラビアを統一したのです。

しかし、1929年のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発する恐慌は世界に波及し、メッカへの巡礼者の数も激減しました。
サウジアラビアの国庫の収入も減少し、同国は財政危機に瀕します。

 当時中東で最も影響力をもっていた列強は英国でした。英国はサウジアラビアの石油の権益取得にも興味を示しました。
しかしイブン・サウドは巧みに列強を競争させ、最終的には中東進出に遅れていた米国の企業であるソーカル(=スタンダード石油カリフォルニア、現在のシェブロン)に石油開発の権益を賦与します。

その後、1938年に同国で初めて石油が掘り当てられ、その後、同国は世界屈指の産油国となってゆくわけです。

 このようにサウジアラビアは建国直後からアメリカと深い関係を築いてきました。

 また、サウジ・アラムコはソーカルをはじめとするアメリカのコンソーシアムの現地子会社だった関係で、初めからアメリカ流の経営が導入されました。
その後、サウジ・アラムコはサウジアラビア政府により国有化されました。

 

サウジ・アラムコIPOに拍車がかかる

このような歴史的観点に立つと、今回のサウジ・アラムコの上場先として、ニューヨーク証券取引所が一番自然だと思います。
また今回のIPOは過去最大のスケールになると言われているので、「受け皿」的にも世界で最も大きいアメリカの株式市場を目指すのが順当です。

しかし、サウジ・アラムコ社内、ならびに王族のメンバーからは、アメリカの厳しい開示基準や訴訟リスクを嫌気し、ロンドン上場を主張する声もあります。

 この意見対立がサウジ・アラムコの上場を2019年以降まで延ばしてしまうのではないかという観測すら流れていました。
今回、サウジ・アラムコ上場プロジェクトの推進者であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子が次の王位継承者となることが明確になったので、そのような反対派は沈黙すると思います。

 つまりサウジ・アラムコIPOには今後拍車がかかると見て良いのです。

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